
大阪府藤井寺市 高橋嘉男さん
トマト、キュウリ、ナス、共通して言える事は品質がいい。
高橋さんは18年聞、呉服の営業をした。呉服というのは普段着用しないものを売る。 結婚式とか特別の時だけである。 これを売るという事はお客様と強い信頼関係がなければできる事ではない。信頼を得る 一番の方法は、お客様と触れ合う機会の回数を重ねる。これ以外にない。長年の努力が あって、ひいきにしてくれるお客様も増えて仕事は順調だった。
ところが5年前、父が病気で倒れた。母と二人で農業をしていた。農業をしていた場所が大阪府籐井寺市の駅に近い。周囲は宅地やマンションだけである。農地なんてほとんどない。どうしようかと迷った。高橋さんは農業に大変魅力を感じていた。やってみたいという気持ちが強くあった。もともとが農家である。騒ぐ血を抑えきれなかった。
呉服の仕事もおもしろいけれど、農業をやってみようという決心がついた。今までは休みの時の手伝いでしかなかった。本腰を入れてやるという気になった。しかし、ただ父の跡目をつぐのではダメだ。新しい事をやらなければという思いはフツフツとあった。
自然のいのちが溢れている野菜をつくりたい!
そうだ「無農薬」にチャレンジしよう。農協に相談に行ったら「そんなのやっている人は誰もおらん、やめとき。」とアッサリ門前返しである。それでも諦めなかった。夢を追いかけなげれば農業をやっても意味がない。この決心は変わらない。指導してくれる人もいない中で、手探りの作業が始まった。
まず土の入替えである。今まで、化学肥料を使いすぎ、有機も同じパターンで入れている。塩土障害が起きている。病害虫にやられるのも毎年である。土の入替えをしなくてはどうにもならない。30アールのハウスに、4tトラツク15台分の腐葉土を入れた。夏に入替えをし、秋作に小松菜を植えた。まるで商品にならなかった。青虫、ヨトウ虫など、あらゆる虫が大発生した。虫のために小松菜を作ったみたいになってしまった。この時、木酢なども使ってみたが、まったく効果なし。あまりにも害虫が多すぎた。腐葉土の栄養分を入れたから、さらに害虫が元気づいてしまつたのだと思う。
そんな折、お父さんから不満が聞かれるようになった。「やっぱり農薬は使わなければダメやないか」高橋さんは必死で説得した。土を作るには3年かかる。その間は辛抱しなければ物にならない。必ずいいものができるからと言ってはみたが、父は納得しない。高橋さんの夢は自然のいのちが溢れている野菜作りである。ここで負けるわけにはいかない。父を説得する為には行動で示すしかない。青虫をひとつ、ひとつ手で取り、ナメクジをピンセットでつまんだ。気の遠くなるような作業だった。それを見て、父は農薬を使えとは言わなくなった、と言っても周囲からは笑われた。「大阪の町の真中で無農薬なんかできるわけないやろごそれでも、無農薬野菜は必ずできるはずという信念は変わらなかった。2年目から防虫ネットを張った。収穫後にバーナーで土を焼き殺菌した。そういう地道な活動が実を結び、なんとか無農薬野菜はできるようになった。
畑の前の看板の効果!
この時、畑の前に大きな看板を作った、無農薬野菜を堂々と宣伝したのである。その看板を見て、野菜がほしいと立ち寄る人がポツポツ来るようになった。これは直販がいいぞとピーンときたので、畑の前で販売する事にした。それでも問題は山積みだった。大きさが不揃いである。収量が思わしくない。病害虫にやられる。これをなんとかしなければ採算にはのらない。
そんな折にベンチヤーネットワークという勉強会に出席した。近畿大学の岩村先生という方が主催している。その勉強会に同席した山本さんという方から玄米アミノ酸の事を知った。平成14年の春の事である。初めて出会う資材だった。玄米だけで作られているので安心感があった。サンブルを送ってもらってすぐに使ってみた。最初は小松菜に使ってみた。すぐに結果が出た。葉肉が厚くやわらかい。葉色のグリーンがよく出る。
味もいい。これはいけると思った。心なしか害虫も減った気がした。
玄米アミノ酸農法にチャレンジ!
その年の秋に、メーカーの社長が立ち寄ってくれた。粉体の使い方などいろいろと聞いた。早速、秋作から実施してみる事にした。驚く事に病害虫は目に見えて減り出した。焼肉用のチシャを栽培しているが、収穫できる枚数がまるで違う。茎の太さが違う。さらに根っこが違う。収穫途中に一本だけ引き抜いてみた。根毛の多さにはビックリ。引き抜く時もなかなか抜けなかった。
宣伝費0円で無農薬野菜が広まった!
そして15年の春作。黒マルチはいらないというアドバイスがあってやめた。草が出ないというのである。やってみると、確かに出ない。まつたく出ないわけではなく苔のような背の低い非早は出る。それは水分が発するのを防いでくれる。玄米アミノ酸のボカシも入れた。土壌に凄い膨軟性が出た。施設栽培をやっているが昔の設備なので天井が低い。雨が降ると水はけが悪くハウスにも入ってくる。大雨の時はハウスが水浸しになり、もうダメかと諦めたが、雨が上がるとスーと水が引いて何の問題もなかった。それだけ土壌に膨軟性が出たという事である。
黒マルチをやめても草が出ない。土壌には短期問で膨軟性が出る。信じられない速さと結果である。3月に入れたマルハナ蜂は3ケ月寿命があった。普通1ヶ月〜1ヶ月半なのにこれも驚きである。
現在、施設で栽培している野菜は小松菜、チシャ、トマト、キュウリ、ナスビ、シシトウ、ネギ、ミズナ、キク等と幅広く作っている。共通して言える事は品質がいい事である。キュウリは特に種が小さく果肉が厚い。トマトは水に沈む。質量が重いのである。お客様の評価は上々である。キュウリやトマトは予約がたくさん入る。店頭に出す物がない時もめずらしくない。ほとんどが近所の固定客である。近くのスーパーがなぜ野菜が売れないかと不思議がって調べたら、無農薬野菜の直売が原因と知った時には驚いたみたいである。病害虫もまったく問題にならないくらいに減った。無農薬農法の成功である。これを証明することが起こった。岸和田で25年間も無農薬農法をやっている人が高橋さんを訪ねてきた。どこかで噂話を聞いたのである。その人がほ場を見て、是非おつきあいをさせて下さいと頭を下げた。無農薬農法の大先輩が頭を下げたのである。
畑に入ると気持ちがいい
不思議な事は次々に起こる。畑には似つかわしくない人がふらっと訪ねてきた。コンピユーターの仕事をしているというのである。その人はニの畑がよほど気に入
ったらしく、暇さえあれば訪ねてきて手伝ってくれる。畑に入ると気持ちがいいというのである。それだけでは終わらない。勝手にホームページを作ってくれた。もちろん無料である。この他にもレストランをよく知っている人がいて、いろんな所に勝手に野菜を紹介してくれる。嘘みたいな話である。つまり、宣伝費0円で無農薬野菜が広まったという事である。それでいろいろな所から引き合いがくるようになった。まさにアンピリーバプルである。
口コミで広がる無農薬の輪
高橋さんは多くの人と知り合いになり、ロコミで広がつていく事を大変な楽しみにしている。ロコミは呉服の営業をした時、社長に教えられたノウハウである。ロコミほど強いものはない事を知っている。この仲問を招いて、バーベキューパーティーをやった。もちろん野菜は無農薬の自家製である。楽しい語らいだった。みんな満足してくれた。
忘れてならないのは家族の事。父も母も最初は不満があったようだ。しかし、 結果がついてくると無農薬でよかったと積極的に応援してくれるようになった。農業をやりたいとまで言い出したのである。家族の温かい応援は何よりも力になる。これも無農薬のおかげである。
無農薬・無科学肥料栽培
無農薬農法はまだ始まったばかりである。3年の土作りが終わり、次の3年で農法の完成を目指す。それには玄米アミノ酸は必要不可欠である。子供に豊かな土地を残してやりたい。それが高橋さんの願いである。


たくさんの農業委員のみなさまの前でお話をいただいたこと
を光栄に思っております。今後ともよろしくご指導を下さい。

