宮崎県宮崎郡佐土原 外園俊さん
宮崎県宮崎郡佐土原 外園俊さん
テストの結果、実の数が多く、収量は多かった。
ガラ、ガラ、ガラ。ハウスの天窓が、にぶい音を立て、大空めがけて開く。お日様がこうこうと差し込む。ガラス張りハウス(M・M・A)の奥の方から、鉢植え間をゆっくりとその人はやってきた。立ち止まると、ペットボトルをくわえ、一口。「いや〜、暑いね。」と言った。今回の主人公外園俊(ホカゾノタカシ)さんだ。 定年退職後、マンゴー栽培を始めて今年で20年目。さらなる研究を始め、御年78歳を迎えられた。失敗を重ねても文句を言わず、研究させてくれる奥様。そして、2年前から後継者となった息子さんへ感謝する日々を送っている。 「いまの生活?私には天国のようですね。静かでのどかな、緑に囲まれたこの場所で、大好きなマンゴー栽培ができるのですから。」 天国ですか? 「そう。天国ですよ。中学四年の時。鹿児島海軍航空隊に入隊して、長崎に原爆が投下された日。その長崎市上空を2人で飛んだんです。いまは私だけが生き残っていますけど。あの時を思えば、そりゃ、もう天国ですよ。」 現在、外園さんは全面積2300坪。200リットルの鉢植が200本。それ以外に600本。そうぜい800本の鉢植マンゴーを宮崎県佐土原町で栽培している。マンゴーに出会ったのは昭和52年頃。沖縄と鹿児島の自宅の庭に2〜3本づつマンゴーを育て、何の世話をすることなく、非常に良くできた。あまり簡単に良く出来過ぎたこと、これがマンゴーを始めたきっかけ。老後の実益を兼ねた趣味として、昭和61年5月末に宮崎県佐土原町の8年間放置されていいた土地、2200坪を購入。東凰熱帯果樹マンゴー研究所はこのときから始った。 呼び出しだ (農業指導員)この度、土地を買われましたが何に利用されるのですか? (外園)マンゴーを植えて農業をするつもりです。 (農業指導員)農業をした事はありますか? (外園)ありません。 (農業指導員)マンゴーはどの様にして栽培しますか? (外園)マンゴーは痩せた土地に肥料をやらずに栽培します。 (農業指導員)今の世の中に肥料をやらずに栽培出来る作物は何もありません。 (外園)そんなに云われてもマンゴーは痩せた土地で肥料をやらずに栽培しないと駄目なんです。 (農業指導員)そんな馬鹿な事はない。他の事業に土地を利用するつもりでしょう。 (外園)そんな事は絶対にしません。 宮崎県佐土原町によそ者が土地を購入したということで、農業委員会より呼出しがあった。農業を許可して良いか否かの審査らしい。農業委員会のメンバー、近所の農家、区長、農業指導員等、総勢12名。こちらは私と家内の2人。心細い農家、農業初仕事。 反対三票。賛成三票。委員長の最後一票で賛成四票に。 やっと農業をする許可が下りた。 「おかしくないか!農業をして良い許可で農家になったのではない。なりたいからやってきたのだ。」それから農家になれたのはこれから4年後の事。 苗は本場沖縄から直送 この土地は、鹿児島、宮崎の5反以上の土地を1年半かけ、探して探してやっと見つけた土地。その後のこと。整地。苗の段取り。 もう準備は万端だった。 整地が始まると同時にトラックを船に積込んで沖縄の翁長さんの果樹園に向かった。この日のためにマンゴー栽培の師匠翁長さんに用意してもらっていた苗200本を取りに行ったのだ。 整地は2日間で終わり、準備は整った。整地されたばかりの畑に苗を縦4m、横3m米の千鳥で植付けた。植付けは翁長さんの指導に従い、苗を地面の上に置き、周りの土を根元にかぶせた。 この作業を聞きつけ、すぐ町内の農家、農業委員数名が見にやってきた。「こりゃあ殿様農業ですなあ」と笑い、帰って行った。近所の農家は、この苗の植付けはまやかしで一年したらきっと農業に失敗して、他の事業に切替えるのだと思っていたらしい。 見たこともない虫が…。 見たこともない虫が...。 8年間も放置されていた土地。そこは小動物、虫、細菌の天国だった。小動物の蛇、モグラ、野ネズミに始まり、害虫は、いままで見たこともない虫が多く住んでいた。 本当の農業をまったく知らない元自動車整備工が害虫防除法も、何も知らずに最初から大きなハウスで植物を栽培するというのだから、農家の方ならどうなったかは想像がつくでしょう。 大嫌いだった蛇。徹底的して蛇を退治した。それがまさかこんな問題に発展しようとは。夜にハウスに入り懐中電灯をつけると。小さな野ネズミの大群がバッタの大群を追いかけ、飛び上る。モグラはミミズを食べる為穴を堀り、その穴に野ネズミが住む。野ネズミはマンゴーの木の根まで食べてしまう始末。 とにかく大変な目に会った。気が狂いそうだった。 ブツ、ブツ、ブツ。つぶやきマンゴー栽培 ぶつ、ぶつ、ぶつ、つぶやきマンゴー栽培 「 やっぱりマンゴーは痩せた土地に肥料をやらない方が良いですね」審査の時、私に今の世の中で肥料の要らない作物は絶対にないと言った農業指導員が8年後に私のハウスを見に来てそう言った。 「8年前。今の世の中で肥料の要らない作物は絶対ない。この一言は重かっんですね。」 良い作物を作るにはやはり肥料をやらないと駄目なのかと何回も悩んだ。害虫でさんざんな目に遭った反省もあり、一から農業を勉強し直した。いろいろなものを実験もやった。 植付けから二年後の三本の木に化学肥料を与えて、他の木と比較して見た。肥料をやった木は非常に成長も良く葉の色も濃く、大きく、見た目には良く見えたが花芽がつかない、タンソ病に他の木よりも多くかかる。花が咲いても結実する率は非常に悪い。木はあばれる。結局、水を断ったり、強勢定を繰返し他の木の様に戻すのに5年を費やしてしまった。 マンゴーの鉢植栽培の隔年結果の問題が、GN菌(グリーンガイア)を使って解決できたときにアミノ酸の勉強をした。 「玄米アミノ酸 液体のときは少しも不安はありませんでした。」 「アミノ酸の事は良いと知っていましたから。植物の効果も十分解っていましたので、すぐに使用しました。」 玄米アミノ酸 液体が入ることで、普通マンゴーの1節の長さは10cmくらいですが、使用すると15cm〜20cmにのびる。木酢。パイロゲンなども一緒。 玄米アミノ酸とパイロゲン、ハウスを分けて実験。玄米アミノ酸の方が1ヶ月早く花が咲き、実の数が多かったので収量は多かった。パイロゲンは1ヶ月遅れて花が咲き実の数は少なかったが実は大きかった。今年も同じようにテスト中だ。 マンゴーの神様は女性にやさしい今、昔の事を反省して見ると、周りに畑、たんぼのない街の真中で栽培すれば害虫も病原菌も飛んで来ない。指導してくれた人がマンゴーの大先輩の翁長さんだったこともある。 「あまり簡単に良く出来過ぎたんだね。マンゴーの神様に騒されたんだ。」 最近、妻が「あなたの言うとおりの仕事の手伝いばかりしていても、おもしろくないわ。失敗ばかりじゃない。」と言いだした。 「自分で思う通りの栽培をしたい」というので5塔あるハウスのうち、475坪を任せてみた。いやー、マンゴーの神様は女性には非常に甘い。優しすぎる。妻の受持分は毎年良く出来る。見学者に原因を聞かれると「マンゴーの神様は女性にやさしいのだ」と説明するしかないのだ。 |
ガラ、ガラ、ガラ。ハウスの天窓が、にぶい音を立て、大空めがけて開く。お日様がこうこうと差し込む。ガラス張りハウス(M・M・A)の奥の方から、鉢植え間をゆっくりとその人はやってきた。
現在、外園さんは全面積2300坪。200リットルの鉢植が200本。それ以外に600本。そうぜい800本の鉢植マンゴーを宮崎県佐土原町で栽培している。マンゴーに出会ったのは昭和52年頃。沖縄と鹿児島の自宅の庭に2〜3本づつマンゴーを育て、何の世話をすることなく、非常に良くできた。あまり簡単に良く出来過ぎたこと、これがマンゴーを始めたきっかけ。
この土地は、鹿児島、宮崎の5反以上の土地を1年半かけ、探して探してやっと見つけた土地。
やっぱりマンゴーは痩せた土地に肥料をやらない方が良いですね」
マンゴーの神様は女性にやさしい
